レビュー「オリンポスの郵便ポスト」「ちょうちんそで」

2017年04月29日 23:22

こんにちは。ぷねおです。

はて今頃は、と思われた方はよくこのブログを読んでくださっている良い人です。毎度ありがとうございます。

前回のブログ通りであれば、今頃は福島のいわきで布団にくるまってるころでしょう。




予定は変更されたのです。



ので、出発は明日。ルートも予定の半分程度になりました。

やっぱ人生いそいじゃあかんよ。急がば回れ。まがればまがりみち。



まあまあそんななので、あいまのレビューです。

今回は二本立て。




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映画レビュー「百円の恋」

2017年02月03日 01:06

自転車はさておいちゃって、続けて映画レビュー。
「百円の恋」。

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正直なところ、周りほどの評価は出来ないかもです。
どう書こうか迷ってました。

僕の見る映画の傾向としては、あまり見ない映画ではあります。
薄暗い社会の片隅で、って前回の流れではないですが…(笑)
きっとあるんだろう弱者の世界というか、汚い世界。自分が平和だなあと思っているその裏側で起こっていたら嫌な世界。
飾り気のない舞台と、生活臭が纏わり付いている登場人物たち。
主人公から何から本当に細かいディテールで出来た雰囲気はあまりに現実的で汚くて、通り越して自分の生活と近い感じがしなくて、
どこか他人事と言うか、入りきれないところはありました。

でも、なんでしょうか。
振り返ってみると自分に近いところはある。
主人公は嫌なことを経験する中でボクシングを始めます。
鬱憤が彼女を成長させる、というには綺麗過ぎる、何が起きても迷いたくない気持ちがボクシングの動きに出ている気がとてもしました。

僕も自転車に乗ってます。
って言うのもおこがましいですが…(笑)
しかし実際のところ、自転車に助けられていることは多々あります。
嫌なことがあったら、何も考えずに乗る。というか考えたくないから乗る。疲れてても乗る。乗る乗る乗る乗る乗る乗る。
考えて考えて、考え抜いた答えが自分をぐちゃぐちゃにするなら
全てパワーにしてしまうほうが本当に効率がいいです。本当に(笑)


何も言わず怒りを一点にぶつける。


出来る限りずっと、日々の生活の中で迷い無く居たいのはきっとみんな同じのはずです。

何が自分を生かすのか。
これだったらあいつに負けないのに。
ぶちのめしてやりたい。

でもどこかで分かり合いたい。



それが人間だと、僕は思いたいです。


映画レビュー 「この世界の片隅に」

2017年01月21日 21:30

巻き込むことの責任。

見終わった後、じっくり考えてそんな言葉が浮かんできました。
映画「この世界の片隅に」のレビューです。

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今、巷で話題になっているこの映画ですが、
最初は全国でも20くらいの劇場で1ヶ月くらい公開されるだけだったのですが、
あれよあれよと言っているうちに、気付けば公開から2ヶ月が経ち、公開している劇場も瞬く間に増えました。

ちょうど公開日あたりでは別のアニメ映画「聲(こえ)の形」も公開が始まっていて、公開順にそっちを見に行っていたら
「この世界の片隅に」が延び延びになってしまって、ついこの前ようやっと見に行くことが出来ました。


これまで幾度と無く描かれてきたであろう太平洋戦争と、広島と原爆。
それをアニメ、漫画で描いたもので見たことがあるのは「はだしのゲン」や「蛍の墓」ですが、
「この世界の片隅に」はそれらの作品より、入り込むのにとても容易な雰囲気があります。
「はだしのゲン」は原爆の投下から始まり、孤児となった主人公が大きな現実と戦いながら生きる、
「蛍の墓」も孤児の兄妹がやはり現実を目の前に、維持を張ってでも2人で生き抜こうとする。

「この世界の片隅に」はそういった映画とはまた違った視点から描かれています。
主人公は小学校のクラスに一人くらいは居そうな少し想像力が豊かなのんびりした性格。何か強い信念を持つわけでもなく、流れるままに生きています。
世の中に対してほぼ抵抗ゼロです。絵柄も相まって見る側の抵抗も無く、癒しすら感じます。

主人公だけではなく、それを取り巻く人たちも世の中にあまり抵抗することなく生活をしています。
そんなキャラクターたちのすぐそばで、戦争は起こっています。
みんな戦争に巻き込まれながら、これが世間的に良いのだと思って
みんな協力して戦争を乗り切ろうとしています。

みんなが一緒に生きようとすれば喧嘩やすれ違いも起きます。
でもそれはごくごく一般的な、僕らの世界にも起きていることと同じです。
同じことが戦争時代にも起きていたということです。

僕は、この時代の人たちは戦争を天気のように思っていたのではないかと思いました。
光化学スモッグが起こる日のように、突然の雷雨に見舞われるように、異常気象で季節はずれの雪が降るように、
敵の戦闘機がやってきて、銃弾や爆弾を降らせていた。
そんな簡単な感覚だったように感じました。

僕らが時折テレビなどで見る記録映像としての、焦土と化した都市やきのこ雲や人々の焼け爛れた皮膚はとても強い衝撃を与えます。
でもそれらはあまりにも現実離れしていて、今現在の僕らの生活と繋がっているように思うには何かが足りませんでした。
しかしこの映画でその繋がらない部分が埋まっていくような感覚を覚えました。



そして日本は戦争には負けます。
それまで時代が選んできた「良いもの・こと」「良き人物」。それらは戦争に負けたことによって意味を成さなくなります。
では、それに流されてきた人はそれまで「良いもの」「良き人物」と思っていたことをどう再解釈すればいいのでしょうか。
僕ははっきりとした答えは出てこないと思います。
「良いもの・こと」「良き人物」は時代が変われば「嘘」に成り得ます。でもその時代に生きていた人にとってはそれは「支え」であったと感じるのです。
「支え」であったのならそれを簡単に「嘘」とすることは出来ません。それをしていたら自分が分からなくなるからです。




巻き込むことの責任。
実はこの言葉が浮かんだのは、映画を会社の人たちと見に行った後の夕飯の中で宮崎駿の話になったところからでした。

宮崎駿率いるスタジオジブリは2014年から映画を制作する部門を解体しました。
僕はその経緯とその後の宮崎駿の動向を紹介したNHKのドキュメンタリを見る機会がありました。
その中で宮崎駿はのんびりとコーヒーを入れて、引退を宣言した後も若い人たちと3DCGを使った新たな映像に取り組んでいる姿を見たのです。
僕はその姿に違和感を覚えました。
宮崎駿ほどの人が、なにのほほんとコーヒーを入れているのか。スタジオを解散したのになぜ新しい映像を作っているのか。
アニメーターがどれほど苦労して働いているのか、想像できない人ではないと思います。
それを知ってなお、業界を狭くするようなことをするのか。雇用を維持することが業界を生かすことになると思わないのか。
過去のテレビやネットを掘り返せば「長編映画を今までのペースで作ると出来るまで時間が掛かってしんどいから」と聞きます。
しんどいから止めるというのはどういうことなのでしょうか。ではなぜまた新しいことに挑戦しようとしているのでしょうか。
宮崎駿は間違いなく影響力の強い人物です。アニメ業界では頂点といってもいいでしょう。
そんな人が何を思って綺麗に終わらせようとしているのでしょうか。
僕らが宮崎駿の年齢まで生きて、綺麗に生ききることが果たしてどれほどの人が出来るでしょうか。

子供達のために作った自然豊かな幼稚園、人権・自然保護活動、全ては宮崎駿という強い人物像があってこそ意味を成していると感じます。
ではその宮崎駿を強い人物像たらしめているのは何なのでしょうか。



戦争も結局は強いものに巻かれた結果です。
巻かれた者は否応無く価値観を選択する機会を奪われていきます。

その流れに逆らえないならば、せめてその信念・強かさを誇れるような姿でいたいのであると、
この映画は語りかけているような気がしました。

またこれも、僕らが普通に生きるのに多少なり必要なことだと感じました。



ライフ・オブ・パイ

2016年02月07日 00:23

最近レビューばかりしか書いてません。ええ。
自転車はちゃんと乗ってるのですよ?ページ右のライディングログ見てください。ちゃんと更新されているでしょう?
はい、だからいいのです。映画レビューです。



これ


いいですね!!


久々に見ごたえがありました。

この映画はこの年末年始に実家に帰ったときにテレビでやってたのを最後だけなんとなく見たくらいで、
なんとなくは内容は掴んでるくらいでした。予告編とかで。
なんか主人公が漂流しちゃって、なぜかトラと一緒でそんな1人と1匹の共同生活。
そんな感じに思ってました。
どうせよくあるハリウッド映画でしょう?


全然違いました(笑)


確かに場面的にはほとんどが、1人と1匹のシーンなのですが、
予想以上に盛り込まれている要素が多いです。
その代表格が宗教思想。

僕ら日本人にはあまりなじみの無い宗教思想ですが(実際にはちゃんと日本には日本の宗教思想があるのでしょうが)、
割と直感的というか、分かりやすい映像として再現されているなと思いました。

勘違いしそうなので一応書いておきますが、別にこの映画が宗教映画だったと言うわけではありません。
この映画は冒険活劇です。その中にちょろちょろと見えてくるくらいです。
漂流すること、トラと一緒にいること、そういうことからなんというか人とか生き物とか自然とかそういうものをひっくるめた大きなもの、感じたのはそういうものでした。




ちなみに今日、自転車で90kmほど走った後見たのですが、
身体的に(精神的にも?)疲れた状態で見ると、前半ものっそい(ものすごい)疲れますおそらく。
心労が溜まる感じでした。
そのくらい作り込まれていた感じがしました。


勢いで映像特典のメイキングも通しで全部見ましたが、この映画は草案から完成まで4年の歳月がかかっているそうです。
海のシーンを作るために大きなプールを半年かけて1から作ったみたいです。
映画の製作会社はこの監督に、「あなたがちゃんと断るまで、監督候補はあなただけです。」と言ったそうです。
他にもトラの調教師やら、通常絵コンテ(映像を簡単な絵でコマにしたイメージ図)でするプレゼンを、10枚ほどの絵画で説明するためにアーティストに頼んで書いてもらったりやら、主人公をインドの高校から集めまくってみたりやら、
なんかものすごい熱意を感じました。
トラもCGとは思えないほどの作りこみでした。トラのCG、ぜひみてやってください。

土俵は違うとはいえ、近しいゲームグラフィックを担当する者として
この熱意には当てられるものがありました。
感動を与えるとはこういうことだと、むざむざ言われてしまった感じです。
すごいです。メイキングの中で監督が「観客にもこの映画を認めてほしい」と言っていました。
認めましょう。それに見合う努力が見えました。


言いすぎでしょうか。今日は饒舌な感じがします。
それでも、これはいい作品でした。



次回は来週、bb氏と200kmライドをしてくるので、その一部始終をご報告したいと思います。
ではではまた来週。




単騎、千里を走る。

2016年01月31日 23:59




単騎、千里を走る。
三国志に出てくる蜀国の豪傑、関羽が戦乱の中囚われ、その気高き精神に見初められた魏国の曹操から蜀国に向かって馬に乗って千里を逃れる、というお話です。
横山光輝の「三国志」で昔覚えました。

いつも通っているゲオで見つけて気になったので借りて見ました。


お話としては、正直普通の人間ドラマです。
高倉健の演技力があってこそ成り立っている映画とも言えるかもしれません。
なので、特にそこらへんについては何も言うことができません。


この映画の意味とは、中国人がなぜ日本人を選んだのか、高倉健を選んだのか。ということだと思いました。
何かといがみ合いの多い僕ら、日本人と中国人。
監督は中国人なので、ここで日本人を選ぶということである共感性が生まれると思いました。
やはり同じ人間ということです。
中国と日本が違うように、同じ国の人でも1人1人違いはあります。
違うところがあるように、同じところもある、ということをこの映画は言っているのではと感じました。
そういうことを念頭において考えてみると、高倉健のあの不器用感や黙ったままの人間像が
中国人にもあるということかもしれません。ないにしても理想像があるのかもしれません。
あるいは関羽というところに重ね合わせているのかもしれません。

いずれにしても、高倉健は日本ではいわずと知れた名優です。
その人間像を、民族は違えど共有できるということをこの映画で感じました。

ふと中国の映画を、もう少し見てみたくなりました。





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