ぐるりのこと。

2015年10月15日 01:23

久々に映画を見ました。
日本の映画「ぐるりのこと。」

そもそもテレビを前にじっとしているのが苦手なのでなかなか映画は見ません。
みるなら映画館へ行ってあのでかい画面で見たいと思うのですが、
自宅にそんなものがあるわけも無く、しぶしぶ映画を借りるという感じですいつも。

しかも借りたら借りたでなかなか見ません。
この「ぐるりのこと。」も、一緒に借りた「ビバリーヒルズコップ」を先に見たまま期限の一週間を過ぎ、
しかたなくもう一週借り直すという108円無駄なことをしています。

そしてその「ぐるりのこと。」を見たあと、とても感動したというわけではありませんが、
何か書く気力が沸きました。この映画を見るのに借りて2週間近くもかかるとはなんとも遠回しな…。

まあなにが言いたいかと言えば、こういった無駄なことをするのが人間なのだなあということです。
先に書きましたが、この映画で特に何かに感動したわけではありません。
映画自体はわりと淡白でテンションも一定。絵にたとえればコラージュかモンタージュのように
ひとつひとつの要素がさも形だけを示すように散りばめられ、
その上にかかった薄い布でようやく一塊(一作品)にみえるというなんとも危なっかしい印象なのです。
が、
レンタル外箱に純愛ジャンルと書かれているこの映画、見ていてふと思ったのは愛を「客観視」して描いているということでした。
たとえば今日自転車通勤から帰宅の途中、赤信号で止まった交差点の横で抱き合っているカップルを見ました。
「ああ、きっとこの人たちは今幸せなんだろうなあ。」そう思わせるだけでこちらにはそれ以上のものが入ってきません。
どんなにそのカップルに辛いことがあったのか、嬉しいことがあったのかこちらは知る由も無いその状態を
この映画の登場人物を通して「そんなこともあったんだよ」とやんわりと話しかけてくるという印象を受けました。

あとこの映画には風刺の要素も結構強めに出てきて、
居酒屋でわいわいしながらそのお店のテレビでは利尻島の津波が出てきたり、
地下鉄サリン事件やあるいは池田小学校事件を模したであろう事件が出てきたりしました。
主人公は法廷画家として法廷でそれら容疑者を見ているのですが、
容疑者に憤慨も同情もせずとても「客観視」しているのでした。

「客観視」というと純愛物として考えた場合に、とても弱いように感じるのですが、
客観視するからこそ、全体の人の流れや大きさを捉えられるというか全体に愛を計らえるというか、
ひとつに向けられた愛ではなくて人や物や事柄など全体への純愛であるように感じました。

とまじめに書いて恥ずかしくなってきたのであれなので、リリーフランキーがすげー味がある、と書いておきましょう。
あと、感情的なキャラクターの演技力と言うか雰囲気というかが、ものすごかった。シリアスと言うには余り、とてもシンプルともいえるようなとても良いものでした。

そんな感情的なキャラクターから「怒り」「悲しみ」などを受けつつ、それらを「客観視」して人間を見つめる。
僕のそんな見方が、この映画を楽しめているなあとまた「客観視」しているのでした。
おしまい。


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