彼は、その男は重力に抗うかのようにひたすら飯を食べ続けた、と言った。 《日の出町ヒルクライムミーティング2016》

2016年11月04日 01:24


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10月30日、午前4時30分。
ビジネスホテルの一室にチャップリンの喜劇に使われてそうな、或いはピンク・パンサーが忍び寄ってきそうな奇妙な音楽が流れはじめる。

ああ、またこれだ。
ベッドで寝ていた僕は、まだ3割くらいを夢に奪われている意識の中で思い出す。
僕はその音楽をよく知っている。音楽はホテルの部屋にもうひとつあるベッドで寝ている僕の競技自転車のライバル、bb氏のスマートフォンから目覚ましとして流れていた。
僕は彼とよく自転車レースに参加するので、その音楽が毎回毎回レースのある遠隔地で、その日第一号耳にする音楽になっていた。
そう、今日もそのレースの日なのである。
いつもならレースとは無縁そうなその拍子抜けな音楽をまどろみの中で半笑いにしながらだらだら起きるのだが、今日は少し違ってそのだるさが無い。
前日は土曜日で休みのはずだったが、仕事が終盤に差し掛かっているせいで休日出勤してからレース会場近くの河辺駅のこのホテルまでやってきたうえ、
着いてから風呂やら準備やらなんやかんやで午前1時くらいに寝たはずだから、3時間ちょっとしかねていないはずだった。
テレビかラジオかで聞いた話だが、ストレスはメンタル面において効率を下げるが、フィジカル面においては逆に効率を上げるらしいというのをふと思い出した。
もしかしたら今の僕にはストレスがかかっていてそれで目覚めが良いのでは、とか何の根拠も無いことを思い浮かべた。
ここ3ヶ月くらい続けているストレッチを終わらせると、ベッドから立ち上がる。


僕は今日のために、珍しく減量とかトレーニングを(比較的)計画的にやってみた。
いつもやっている週2日目標の自転車通勤を多めにしてみたり、筋肉を休めるためと汗で体重を落とすために銭湯通いをしてみたり、
本番1週間前なんかは食べた物のカロリーを計算しながら、それでもお腹が減ったらこんにゃくを食べたりしていた。

何せ彼は侮れない。

いつも調子っ外れなことを言って飄々としているくせに、練習も外を走らないで屋内でローラーだけやってるだけっぽいのに、
僕はなかなか追いつけないでいた。
特に今日の山を登るタイプのレースは今まで2回あったがどちらも勝てていない。
正直それに悔しい思いがあったわけではない。
ただもし頑張ったら追いつけるのではないか、追いついたらレースが面白くなるのではないか、そういう思いから減量を始めた。

そんな彼は何を思ったのか、体重を増やしてきたと言う。
まただ。軽いのが正義と言われるヒルクライムレースを前に、またそうやって裏を掛いてくる。
もどかしさの中、そう思ったが聞いてみるとそれにも理由があるようで、どうやら筋肉を付けているとのことだった。
筋肉を付けて力で坂をねじ伏せていこうという計画らしい。
自分大好きな彼らしいと言うか、相変わらず突拍子で何を考えているのか想像が付かない。
そんな彼は寝癖を付けたまま、律儀そうにベッドに座ってバナナ2本目を食べていた。


午前6時過ぎ。ホテルを後にして会場まで10キロを走って向かう。
去年は快晴に近い晴れだったが、今回は厚い雲が掛かっている。
少し標高の高い会場へ向かうために坂を登っているせいか、吐く息もより白く見えた。今シーズン初めて見た白い息だった。

受付は6時45分から7時半までで、去年は場所がわからず会場にギリギリに着いていたが、今年は迷わなかった。
受付を済ませて、会場2階の休憩室に入る。
外とは打って変わって暖房が効いていて暖かい。
用意されていたテーブルに荷物一式を置き、ふとbb氏に目をやると、
彼は受付時にもらった記念品の中に入っていたカステラをまたもりもりと食べていた。
…どこまで食べるのだこの男は。
もしかしてこの大会を、フードファイトだとでも思っているのだろうか。
いや、もしかして僕が勘違いをしているのかもしれない。ヒルクライムと思っていたこの大会は、実は大食い大会に変更されているのか。
いやいや、例えそうだとしてもこの場で食べるのは愚行のように思えるが、目の前にしている彼の食欲大盛振りは僕の知っている今までの彼を遥かに凌いでいた。というか筋肉より脂肪を増やしているようにしか思えなくなってきた。
そんな僕の思いをよそに、今度はせんべいに手を出している。
今回負けたら引退しよう。


せっかく暖めていた体を冷やしに行くように、開会式とライダースミーティングを終え、
少しでも体を軽くするためにトイレで半ば無理矢理踏ん張って用を足し、スタート地点へ急ぐ。
今までのレース経験で分かったことだが、このスタート位置というのが最終的な順位にとても影響する。
高速道路での渋滞からの発進のように、レースのスタート時も混雑した状態からスピードに乗るまでの時間にロスが生まれる。
そのロスは、スタート時の順番が後方になればなるほど大きくなっていく。
レースによっては実際のスタートと計測開始のスタートが異なり、みんなスピードに乗った状態からレースを始められるが、
今回のヒルクライムレースは実際のスタートがほぼレーススタートでありかつ、片側車線のみの通行で道幅も狭く見た感じ大勢の選手自体が壁になって避けて通る道も作れなさそうだ。
よって、一刻も早くスタート位置に向かったほうが有利なのだ。

まあまあのスタート位置に着いていよいよスタートまで待機。
去年もそうだったが、手足が凍えるように寒い。いや、まだ去年はこれが初のレースだったから興奮で手足の震えなんて気に留めることでもなかった。ただただスタートを待ちわびていたような気がする。
そんなことを振り返りながら辺りを見回す。レースに出る度に思うのだが、みんな速そうに見える。
手足にウォーマーを着けている人、あるいは着けていない人。
僕よりもずっとスラっとしていて、なのに足がすごい太い人。
少しでも軽さを稼ぐためかバーテープを巻いていない人。
一見遅そうに見える人も何を隠しているのか分からない。ヒルクライムレースは割りと見た目では分からない。

スタートが近くなってきて、去年の大磯クリテリウムでも出た弱音を吐き始める。
今思うと、弱音は冬場のレースに多く言っている気がする。寒さが僕の弱音と関係があるようだ。
なんの根拠も無く「あ、今日は無理だ」とか「いや~、いやいや」とか言いながら、待機している大勢の選手の写真を1枚撮ってスタート。
気持ちはさながら、子供が親に嫌々ながら手を引っ張られていくそれだった。

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コースレイアウトは全体で8キロのうち、5キロまでは割りと緩やかな坂で小学生の部はそこでゴールとなる。
中学生から上はその先3キロを足したコースとなるのだが、この3キロが実質勝負となる。
その3キロはそこまでの5キロとは比べ物にならないほど斜度が高く、前半5キロを4回走るのと同等なくらいの標高なので、
計算すると、後半は前半を4倍に伸ばした20キロを更に3キロに圧縮して登っていくのと同じになる。

走り出してスタート前とはなんだったのかという具合にテンションが上がっているのが自分で分かる。
前回のレースが8月にあった耐久レースで、そのころ僕は鎖骨の痛みで思うように走れなかったのもあったから、ひさびさに自由になっている感覚があった。
前半4キロをbb氏と前後しながら時速35キロほどのスピードで飛ばしていく。
またふと去年を振り返る。去年は足の疲れを気にしながら走っていたが、今回はそれがない。
ただただ走れている。と言ってもすぐ前方に先頭集団がいるのでみんなとぶつからないようにペースを合わせて走行している、というのが正直なところだったが、それでも周りの速さに合わせられなかった去年とは違っていた。

いよいよ緩い坂の区間が終わる。
それを狙ってか近隣に住んでいる人たちが沿道で「がんばれー!!」と叫びながら手を振っていた。
僕もいくつかの応援団の塊に向かって手を振り返す。
これは僕のポリシーだが、全員は出来ないにしろ応援してくれる人にはなるべく応えるようにしている。
というのはせっかく応援してくれているのに無表情の顔を返すのも申し訳ないし、何より何もしないのは面白くないと思うからだ。
そうやっているうちに自分がみんなのヒーローのように思えてきて、ヒーローなら頑張らなければという、正のスパイラルを生む気がしている。
こう書き出してみると恥ずかしいものだが。

手を振っている自分に勝手に気恥ずかしさを感じながら、後半の劇坂に突入する。
ここからはもう何も考えていられない。
ただただ自分との勝負。あるいは消耗戦とも呼べようか、一定のリズムを守りながら漕いでゆく。
視線は先を走る先頭集団と、路面の状況を把握するために行ったり来たり。
口は唾を飲み込むことも止めて、心臓はもうどうなっているのか意識がいかない。ただ息をして意識があって走っている状態を知覚できる、それが同時に心臓が機能しているという証明に感じられた。
目の前に絶え間なく流れてくる路面の角度を見極め、少しでもきつそうだと感じたらダンシングをして、少しでも緩そうだと感じたらまたサドルに座って休むように、それでも速度を落とさず漕いでゆく。
気が休まらない。その間にも先頭とは段々と差が開いていくのが分かる。
いや、気は意外にも休んでいるのかもしれないと思った。僕を抜いていった人のBMCのジャージが、よく見ると似たロゴでIMEと書かれていて、「BMCじゃないのかよ。」と冷静に突っ込んでいる自分が分かって、そして更に自分のその突っ込みが自分で笑えてくる。

坂と人生を重ね合わせるようになった頃、坂をいくつ越えたのか、いつ終わりが来るのか、と考え始める。
体中でレースに使う以外に余力があるのは目線だけで、見たのはサイクルコンピュータのモニタに表示されている、スタートからの走行時間。
無意識のうちに脳内に去年の記録を引っ張ってきて、それと照らし合わせて今どの辺りなのかを把握し始めた。
去年の記録は26分17秒だったから、
今、12分が過ぎた。まだ半分くらいか。
今、20分を過ぎた。半分は過ぎた。後ろは誰も来ない。結構いけてるのか?
今、24分を過ぎた。最後の坂はどこだっただろうか。確か今の坂はフェイクで最後にもう1つあった気がする。


坂とも感じられなくなっていた最後の坂を越えたときに、去年の映像が視界にダブる。

遠くに見えたbb氏がダルそうに左カーブに消えていく。
追いかけなきゃ。ここからはほぼ平坦だから今ならスプリントすればまだ間に合う。
カンカンとギアが2つ落ちる音。気持ちがいい音。
目の前の女性を追い抜いた。なに気を抜いてるんだもうすぐ追いつくぞ。
左カーブの先に、地面に敷かれたゴールカウントの為の配線と一緒に、bb氏が目の前に現れた。



ゴールしてペダルからビンディングを外した直後、僕は口をグローブで拭った。
唾の処理をしなかった口の周りは涎が垂れたい放題で、端から見たらさぞ汚く見えただろう。
しかし同時に、見かけは汚くても行けるところまで行こうとした自分に新しい境地を少し感じさせた。

走ることは楽しい。

自転車に着けていた記録用のマーカーを大会スタッフの人に取ってもらって奥にあるちょっとだけ開けた場所に自転車を移動する。
しばらく経ってbb氏がゴールしてきた。

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bb氏とは去年は1秒差の負けだったが、今回は40秒の差をつけることが出来た。
しかし、実際のところそんなことはどうでもよかった。
何が望みだったわけじゃない。ただ面白く走る。そのためにレースに出る。
トレーニングも減量もうまく出来たわけじゃないが、何より走ることを面白くするために自分がやれることを出来るということが何より面白いと思った。

bb氏も、他の参加者も、参加する理由はどうあれ楽しみたいが為にここに集まって一緒に坂を登っているはずだ。
少なくとも一人そう思う僕は今回のレースでそれを全うできた。
それが何よりなのだ。






====《後記》====

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結果は、総合18位。20代男子では5位に入りました。

タイムにしてあと16秒速ければ表彰台だったのに…。

とか言ってみるけど、状況的には仕事で14日間働き通しで、そのせいか風邪気味、それを払拭しようとして大会一週間前にやった休日出勤ハーフマラソンで膝が痛かったので

それらを総合すればなんら文句は無い感じ。

むしろ日ごろのストレスが溜まっててそれがうまく爆発してくれたのかもしれない。あとプロチームをまねてやったメントール鼻詰めもちょっとは効果があった気がする。



たられば話になるが、終盤に差し掛かるところでエネルギー切れを感じていたのでスポーツようかん1本と、

あとボトルを持たないでおけばさらに軽くなって、あるいは入賞していたような…。という希望…。


しかし、去年は54位だったので少なからずこの1年で自転車に乗り慣れたのと

あと今回の減量は効果があったのかもしれない。





bb氏と僕との体重差は前日の銭湯で量ったら8キロ弱。

今回彼は僕から40秒遅れの23位だったが、むしろ8キロのハンデを背負って23位に入ってきたのはやはり油断できない気がした。

靴がボロボロでサイズが合ってないとか言ってるので、さっさとそこらへん直してもらわないと勝ってもモヤモヤする…。




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20代男子の表彰台の様子。今回正直こんなに成績が良くなるとは思ってなかったのでちょっと悔しくて撮った。




振り返ってみると、今回の減量はあんまりよく出来たほうじゃなかったし(直前なんて色んな人に対してイライラしたりしてた…汗)

もっと分析的にやるべきだなあと思った。僕は大雑把な性格なのでそれがなかなか難しいのですが…。

あとは予想外の良い結果に、嬉しくも悔しさを感じたのが小さな変化な気がした。




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レース後、暖かい室内で一段落している我ら。





このレースは僕のモニュメントとしよう。


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